本当の、多様性ある社会実現を目指して。

政策

仲良く、みんなと協力して、

助け合い、支え合い、認め合い、生活しませんか?

何年も前からずっと、

僕は、

一夫多妻制(一妻多夫制、多夫多妻制)導入を主張していて、

でも結婚を機に、言わなくなりました。

それは前妻が、

一夫一妻を望んだからです。

僕は自分の欲望やハーレムのために

一夫多妻をしたい訳でなく、

みんなで仲良く暮らしたほうが

生活が豊かになると思い、

一夫多妻もアリかなと思ったので、

前妻が一夫多妻が望まないなら、

一夫一妻でいいやと思いました。

僕は前妻を愛していたからです。

前妻が望む生き方に添いたかったからです。

にもかかわらず、

うまく行きませんでした。

結果、離婚に至りました。

浮気も不倫もせず、

(僕なりに)経済的な苦労もさせず、

暴力もせず、

ただただ全力で

(僕なりに)尽くしたにもかかわらず、

うまく行きませんでした。

原因はよく分かりません。

人生で一番絶好調の時に

最高のパートナーに対し、

全力で臨んだにもかかわらずだったので、

人生一番の挫折です。

自分は、

なんてダメな人間なのか、

思いました。

そして今後、

僕は、人を愛する資格なんてないとも。

もちろん死だって考えました。

ただ、

妻が幸せになるため、

僕と別れる事を決意し、

僕も受け入れた訳で、

僕が死んだり不幸になったとしたら、

前妻は幸せになるでしょうか?

前妻は優しい人なので、

自殺させた不幸にさせたと、

きっと心のどこかに

背負わせる事になります。

であれば、

少なくとも自分は

それが原因で

死んだり不幸になる事は、

しちゃいけない、

幸せにならなきゃ、

いけないと思うよう

努力する事にしました。

そんなある時、

Twitterで僕が

オフパコの話をしてたんです。

それに対して、

引用リツイートしてる人がいて、

それが何回かあって、

一応、僕なりの説明をしてたら、

ふと唐突に降りてきたんです。

なんで僕は、

このやり取りをしてるのだろうって。

僕がオフパコという表現を使っているのは、

僕が自分の人生に投げやりになってたから。

僕は捨て身で生きてます、

こんな自分でも

何かに貢献できるなら身を捧げますと。

僕は女性とセックスするの好きですし、

と言っても

普通のセックスの範疇かと思いますが、

性欲もそこまで激しくないですし。

で、

「オフパコ」とか、

そんな感じで、

使っちゃっていましたが、

本来の後藤輝樹の生き方として、

そんな投げやりに、

言葉言靈を使っていいのか?

と、ふと思ったんです、

降りて来たんです。

僕は、

前妻が運命の人と想ったので、

それで結婚に結び付いた成功体験と、

もうどうせ自分なんて、

何かのお役に立てれば

自分も生きてる価値あるかな、

というのとか、

色々グチャグチャになって、

安易にオフパコとか

使ってしまっていましたが、

初心に帰ろうと。

昔から言うてますが、

僕は

「パヨク」とか「ネトウヨ」という表現が

好きではないので、

使わないようにしていました。

というのは、

言葉言靈を

軽く扱っているように思えたからです。

真剣な相手に対して、

言葉言靈を軽くする(コケにする)事で、

相手の格、レベル、ステージを下げると言いますか。

考え方の違いから

賛否のやり取りがあっても、

人の格を落とすようなやり取りは、

しちゃあかんと

僕は思うからです。

その僕が、

自分の體、自分の魂なら、自分の、だから、

傷付けてもいいやと、

「オフパコ」という言葉言靈を使っていたのです。

『呪術廻戦』虎杖悠仁さんと同じで、

傷付けちゃいけない対象に、

自分を、いれてなかったのです。

なんという事でしょうか。

最も一番近くで、

最も頑張ってくれてる、

自分に対して、なんたる態度。

そんな言葉言靈を使ったら、

自分の體、自分の魂、

悲しいよと、泣いてるよと。

考えてみれば、

僕がやってた事は、

(目には見えにくい)精神的な自傷行為でした。

そこに氣付いたとき、

僕はハッとさせられました。

自分に対しても、

言葉言靈を軽視してはアカンよと。

本当に僕は、

皆さんと仲良く

平和に過ごしていきたいだけなんです。

戦争(争い)も環境破壊も限りなく無く、優しい世界で。

そこには嫉妬も束縛も可能な限り無く、

足る事を知り、愛で繋がれる関係で。

僕は政見放送で

「七つの大罪」について語りましたが、

人類が幸せに生きるためには、

「憤怒」「嫉妬」「強欲」「怠惰」「傲慢」「暴食」「色欲」を克服し、

足る事を知らなければなりません。

僕は、その考えを何年も前から説いてきました。

この七つの大罪が克服した世界では、

争いは起きません。

そして多夫多妻のような生活も問題になりません。

つまり、偏見の目で見られません。

それを改めて、唐突に悟った次第です。

どうせ、いつか死ぬのであれば、

自分が出来る事をやって死にたい、と。

啓蒙啓発に尽力したいと。

今まではオフパコなんて言葉言靈を使ってしまっていましたが、

もし本当に捨て身で生きるのであれば、

真の愛や性を求道しなければいけないと思いました。

僕は社会貢献とか色々な理由で、

あえてオフパコと使ってきましたが、

今まで、えらい言われようで、

今回に到ってはカスと表現されていました。

ここまで言われる事で、

こんなふうに思われるなら、

理想を掲げて、

一夫多妻って言ったほうがマシやと。

でなければ申し訳ないと。

離婚してまで生き長らえて。

オフパコ言うて、

自分を傷付けてるよりも、

そっちのほうが世のためになる。

結局、一夫一婦では、

点と点なので安定しません。

線となり面となり、

立體となり、球體となっていく。

そこに近づけば近づくほど安定するのだと。

一夫一妻では、

自分だけのものという

「傲慢」さ「強欲」さ、

そこから生じる「嫉妬」「憤怒」「怠惰」

一夫一婦制度に固執すれば、

そのシステムとして、

七つの大罪のうち五罪が

自然発生しやすくなってしまうのです。

もちろん僕は

一夫一婦制を否定しません、

それで、

うまくいく人達は、

それでいいと思います、

だけど、

世の中、それで、

うまくいかない人達は沢山います。

不倫の報道を見てください。

それは明らかです。

これ(一夫一婦に固執)では社会が、

逆に悪くなります。

問題がある制度を、

なんとなく、

そういうもんだからと、

放置しているのは、

僕はどうかと思います。

せめて議論くらいはすべきです、

勇氣を持って。

俺は後藤輝樹だから。

だから当初の理念に戻り、

多夫多妻が容認許容される社会を構築しなければ、

と思いました。

一夫多妻のメリットですが、

メリットばかりです。

デメリットは

嫉妬と社会の目くらいです。

そのデメリットである社会の目も

当たり前になってしまえば、無くなります。

なのでデメリットとしては

自分だけのものにしたいなどの、

人間の精神性だけです。

それは、

これからも人類が

地球と共存共栄していくのであれば、

いずれ是正しなければならない事なので、

実質デメリットは無いに等しいです。

メリットをあげれば沢山ありますが、

まず端的に負担が減ります。

みんなでシェアするので、

何事も負担が減ります。

例えば、

妻が妊娠出産中だったり仕事をしてたとしても、

僕も含め他の妻達が

自分達家族の子どもとして、

家事育児料理などをする事が出来ます。

みんなで暮らせば、

世帯収入が増え、世帯支出が減ります。

みんなで暮らせば、

喜びだって共感共有でき、

悲しみも共感共有でき、

抑える事ができます。

自分の出来ない事も、

他の誰かがカバーしてくれるだろうし、

逆に他の誰かが出来ない事を、

自分がカバーする事が出来ます。

そういう環境で生活していたら、

優しい人間、崇高な人間になります、

てか、ならざるを得ません。

もし一夫一婦だと、

一対一なので、

凄い争いになったり、

エスカレートしたり、

時に冷戦になったりしますが、

一夫多妻で他の人の目があると、

たぶん、凄い争いにはならないと思います、

氣を遣うので。

また、なったとしても、

仲裁に入ってくれます、

同じ家族として。

同じ想いを持った共同體として、

自浄作用が働きます。

自分1人じゃないと思うと、

心の支えになります、

多夫多妻だと嫉妬すると思う人もいるかもしれませんが、

足るを知り克服すれば、

ベクトルが逆になる事で、

反転、大きな支えになります、

お互いに支え合い、助け合い、認め合いさえすれば、

全ては愛に満ちた世界になります。

僕は世界平和実現を目指していますが、

七つの大罪を克服し、

家族を所有物と思わず、

1人1人が

目の前の人を平和にしていく事が

世界平和に繋がると思っています。

線引きをしない。

血が繋がっていなかった人達と一つ屋根の下で暮らす。

それこそ小世界です。

お互いが社会のため、ファミリーのために、

できる事で貢献する、奉仕する、

そんな愛のある世界。

結婚するしないに関わらず、

人を所有、支配、独占するという感覚を、

人類は克服する必要があると思っています。

調和、共有、協調、共栄。

常日頃、パートナーに対して、

嫉妬の感情を抱いているようでは、

それで世界は平和になるでしょうか。

僕自身は、

一夫一婦でも

一夫多妻でも

一妻多夫でも

多夫多妻でも、

必要性があれば、

自然の成り行きで構わないと思っています。

僕も嫉妬する心がゼロではないとは思いますが、

たぶん普通の人よりかは、

あまり嫉妬しないほうかとは思います。

親友が何人もいる感覚に近いです。

親友が何人か居ても成立するのに、

パートナーは1人限定という考え方に

昔から僕は違和感を覚えます。

いずれにしても、

自由意思の名のもとに

同じような思想、考え方の人達と共同體を形成し、

仲良く幸せに暮らしていけたらいいなと思っています。

社会を安定させようという支配構造で、

一夫一婦が当たり前、

常識となっているだけです、

今の世界は。

しかし本来は自由なのです、

その人それぞれにあった

生き方があっていいと思います。

別に、

僕のすべてが正しいと、

言ってる訳ではありません。

人それぞれに正解があるので、

凄い悪い事したり

凄い迷惑かけたりしていないのなら、

許容してもいいのかなと僕は思います。

一夫多妻環境での子どもの教育についての心配が

あるかと思いますが、

そこで育った子供は、

多様性ある優しい子どもが育つと僕は思います。

家族内で

勉強を教える事ができれば、

塾にだって行く必要がないかもしれません。

美容師さんがいれば

カットしに行かなくてもいいかもしれません。

看護師さんがいれば、

病院に行かなくてもいいかもしれません。

可能性は無限大で、

本当にメリットばかりです。

成立するための条件としては、

パートナーがパートナーを平等に愛する。

そしてパートナー同志も

家族みんなを愛することです。

たぶん僕の感覚として、

パートナーが三人以上で安定してくると思います。

円や球になるほど、

角が取れ、安定していくかと。

ある程度、

増えれば共同體としての意識が芽生え、

良い感じになってくるかと思います。

なので、

後藤輝樹に共感し、

これから共に生活していきたいと思ってる方は、

あなたの自由意思のもと、連絡ください。

一緒に生きましょう。

みんなで生きるというのは、

今現在、人生が辛い人や

生きてく希望がない人、

支えてくれる家族や

友人がいない人達のセーフティーネットにも

なりえます。

僕は、自然が豊かで、

ぼちぼち都会で、

出来るだけ自給自足で生活したいです。

もちろん無農薬無添加で。

僕はワクチンを接種してませんが、

それでも良ければ。

経済的な面は、

お金ある人が払えばいいし、

働ける能力がある人が働けばいいし、

それらが無い人は別の何かで、

それぞれ自分が出来る事で

ファミリーに貢献すればいいかと思います。

年収がいくらだとか、

常識がどうだとかに囚われず、

それでいて調和して生きていけたらと思います。

出来る出来ないではなく、

どうせ捨て身で生きるなら、

そういう考え方生き方も本来できるんだよと、

何か示せたらと思いました。

勇氣を持って。

離婚してしまった以上は。

新しい世界を開かなくては申し訳が立たないと。

オフパコとか言って、

おちょけてるよりかは、

真正面から社会に一石を投じたほうが、

救われるかなと、

僕なりの社会貢献のつもりです。

追伸

今、ついさっきやってた、

やりすぎ都市伝説を見てたら、

オスとオスのマウスで子どもを誕生させたらしい。

という事は、

将来的には、

人間の男性と男性の子どもも

誕生可能という事。

であれば、

より多様な家族形態があってもいいと思うし、

たとえば、

男性同士の一夫一婦だけでなく、

全員が男性の多夫多妻とかも

あり得る訳です。

さらに、

自分単體でも、

自分の子どもを

誕生させる事も可能になるという。

そうなると、

多夫多妻家族というよりか、

親友との共同生活、

シェアハウスみたいな感覚かもしれない。

親友には嫉妬や束縛しない感じと同様に、

旦那や妻にも

嫉妬や束縛する必要が本来は無いのです。

支配者が管理しやすいよう、

一夫一婦で価値観を拘束、洗脳され、

そう思わされてるだけかと。

愛のある豊かな共同體が、

あちこちで出来てしまったら、

支配、管理できないので、脅威だから。

なので、

必死に

恋愛映画や恋愛ドラマで、

大衆を洗脳させてるのです。

本来は、

氣の合う共同體で、

みんなで、

朗らかに楽しく生きていけた、いけるはず、

と僕は思っています。

僕は、そんな理想郷を目指します。

ただただ愛を持って、

ありのままを受け入れて、

生きることかと。

好きではなく愛で結婚する。

俺の勝手なイメージだけど、

どちらかというと、

好きは、感情に支配されてるようなイメージ、

愛は、それを超越してるようなイメージ。

いずれ人類が

そこに到達しなければならないならば、

今から、その次元で生きる事を

目指してもいいかなと俺は思う。

少なくとも、俺は、

そう思って生きようと思ってる。

どうせ、死ぬ氣で、捨て身で、生きてる身。

執着を捨て、進化を促進できたらと。

ただ、

ここまで言ってきて、なんですが、

僕に新たな出逢いがあって、

そのパートナーが一夫一婦がいいと言えば、

一夫一婦になっちゃうと思います(笑)。

(力ではなく愛で創りたいので)

たぶん、

後藤輝樹の生き方価値観理念に共感し、

それを世界に広げようと熱心な人、

初めから、

世間の目を氣にせず、

複数の女性で後藤輝樹を支えよう、

えいえいおー!というような、

ちょっとイカれた女性じゃないと、

僕が多様性あるファミリー形成を世の中に

啓蒙していくのは難しいかなと思います。

今までも何回か試して、

その都度、失敗してきてるので。

ご縁次第かと。

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