子どもは虐待なんて言葉は知らないし、当時はネットも無いし、調べようもないし、昭和の時代なので虐待的な事に関する意識は皆無に近かった。だから、そういうもんだと思ってたし、なんでもそうですが、嫌なところもあるけど利点もあったわけで、そこを利用して生きるしかなかった。子どもは賢く、大人はバカなので。ワーワー騒いでも、絶望して引きこもっても、親はチェンジできないから、そこにエネルギーを注いでも無駄だし、その当時はセックスしてみたかったし、人から評価もされたかっただろうし、色んな事をしてみたかったけど、10代で全て達成してしまったので、死ぬしかなくなった。いやいや視野が狭いよ、世界は広いよ、もっと色んな事をあるよという輩もいると思うけど、(すべては想像できてしまうので)そんな個人的な人間の欲の達成のために生きていたら、世界に申し訳なく、そんな欲望のためだけに生きるのなら、死んだほうがいい、または死ぬべきだ、と思った。なので、社会貢献で選挙に出ている訳で、結果的にまだ生きています。おかげさまで再婚もしました。今では、親ガチャだとか何ハラだとか、モンスターなんちゃらだとか、色々な事柄がネットで探せば出てきてしまう、それらと比較して、自分んとこは、ネガティブだポジティブだと捉える事ができるのは、幸せなのか不幸かは分からない。知らない事は不幸でもあるし幸せでもある。知る事は幸せでもあるし不幸でもある。僕からのアドバイスを言えば、知らない事は幸せであり、知る事は幸せと、自分で脳内変換する事である、どんな事であれ。良いとこどりすれば概ね無敵なマインドを手に入れられる。また、僕が、親の事を、虐待だとか恨むだとかトラウマだとか、そういう類に至らなかったのは、早々に親に見切りを付け、諦めたからである。なので人生は、これもまた、絶対に諦めちゃいけないんだけど、諦めるべきでもある。潔く、明らかに認める事は悪い事ではない。被害者ぶって、闇の奥底に進軍していくよりかはマシだからだ。なので僕は、親にされた事なんて、あまり覚えていない、嫌な事も良い事も。興味もない、眼中にない。それが故に、ひょっとしたら人間嫌いですらあるかもしれない。ただ、今では、感覚的に、感謝しています。お前ら愛してるぜ精神に辿り着いてしまったので、たまたま。それだけです。たぶん僕は冷たい人間だから、無理にでも、愛の言靈を吐いてないと凍死してしまうんだと思います。だから生と死のはざまで、日々藻掻き、愛を生み出そうとしているのだと思います。生きてて申し訳ないから、せめて。
【本日の補足です】30年かかって分かった事は、当然、俺様は日々成長して、毎日が、今現在が、俺様史上最高最強究極ですが、親も少なからず成長しています、どんな親であれ。なので生きていたら、そのうちは必ず来ます。もちろん、来る前に死んでしまうかもしれませんが。それはお互いの成長次第です。
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