喉がそこまで痛いわけでは無いんだけど、ここ何日間か声が枯れてて、聲が出ないような状態が続いている。ここまでの状態は人生で初めてかもしれない。自分一人なら、ただ黙っていればいいが、妻(人)と一緒に過ごす環境下で、聲を発せない、言葉を言靈を出せないというのが、これほど辛いものとは思わなかった。何が辛いか?有り難うと感謝の氣持ちを伝えたい、愛してると言いたい、相手の想いに応えられない事が申し訳なく、これほど辛い(申し訳ない)ものとは思わなかった。と同時に、自分が伝えたい言葉言靈が感謝や愛に満ちたもので良かったと思った。恨みや憎しみに囚われ、人を傷付けたり攻撃するための言葉でなくて、安堵し(感謝もし)た。人は、それが当たり前だと思うようになると感謝の氣持ちも薄れるし、余裕が出てくると余計なものにまで手を出しがちだ。本当に伝えたいこと言いたいことが、1つだけに制限されたとしたら、何を選択するだろうか?俺は、有り難う、か、愛してる、のどちらかで悩んでいる。自分が、そのどちらかで悩む人間で良かったと思うし、であれば、もし言葉言靈が自由に発せられるようになった時、出来るだけ人を嫌な氣持ちにさせない、出来るだけ人を傷付けない、出来るだけ人をバカにしない、出来るだけ人を攻撃しない、出来るだけ人を不快にさせないよう、氣を付けたいと思いました、今までもそうでしたけど、今まで以上に。やもすると我々は、言葉を出せるのが当たり前と思ってしまいがちですが、言葉を介して、人とコミュニケーションを取れるのは、(足る事を知れば)それだけで本来とても幸せな事であり、感動的な事なのです。なのに増長した人類は愚かにも、口論、争い、誹謗中傷、戦争へとエスカレートさせてしまっています。言葉を出せる能力があり、言葉を語らう人や居場所が存在するのであれば、良い方向に言靈を使ってほしいと思います。自分を幸せにするのは言靈次第なのです、自分の世界を幸せに出来るかは言靈次第なのです。早く、妻を幸せに出来るよう、妻を氣持ち良く出来るよう、言葉言靈を出せるようになれたら幸いです。お前ら愛してるぜ。
もし聲が出なくなったら、あなたが今、伝えたい事は何ですか?

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